パパが3歳のとき知っておきたかったこと

年収は2-3000万円で全然いいんですよ、お金には執着しないタイプなので。

みずから無能になる選択

 地元の知り合いに元サッカー選手がいる。

 彼は大学卒業後、J1のクラブとプロ契約を交わすも、成績が思うようにふるわず、条件を切り下げながら移籍を繰り返した。あるシーズンの試合中に膝を負傷してからはリハビリ中心の生活を送り、契約が満期時に更新されなかったことから現役引退を決意。今は地元に戻り、実家の小さな居酒屋を継ぐべく修行中だ。

 世間的には無名Jリーガーのありふれたキャリアにすぎないが、僕からすれば彼の引退はちょっとした『事件』だった。

 なにしろ彼は、地元では誰もが認めるスター選手で、『僕が憧れる人たちみんな』が彼に憧れていた。要するに、何もかもがぶっちぎりで、雲の上の存在だったのだ。プロになって思うように活躍できていないのは知っていたが、心の中では我がスターが早く怪我を治し、Jリーグで一花咲かせることを期待していた。しかし、その勝手な願望は永遠に叶わないことが彼の引退によって確定したのだ。部活の最後の夏が終わったような、なんだか懐かしいショックだった。

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  『ピーターの法則』によると、能力主義の階層社会では有能な人間は昇進を続け、やがて無能になる。ある階層で自分の能力が十分であれば上位の階層にすすむから、「昇進が止まる=その階層以上では自分の能力が及ばなくなった」ということだ。

 それぞれが自分の無能レベルに達するまで昇進を続ける結果、組織は、無能な課長/無能な部長/無能な役員、といった具合に『そのポストとしては無能』な人間で溢れてしまうという。

 のび太やジャイアンと比べて「出来すぎている」できすぎ君も、私立の難関中学に進むとどうだろう? 隣町のできすぎ君/できすぎさんと競わなければならない。東大に行って全国のできすぎと比べたとき、あるいは超一流企業に入って世界のできすぎと比べたとき、彼はまだ出来過ぎているだろうか?
 おそらくは、できすぎ君→できる君→ふつう君→できない君→できなすぎ君、と複数回の改名がなされるはずである。

 もっとも、町内の中小企業に勤めれば、ずっとできすぎ君でいられる可能性も高くはなる。井の中で「有能な蛙」となるか、大海に出て「無能な蛙」となるかは、本人の選択であって運命ではない。テレビの中では霞んでしまうアイドルたちだって、高校の教室では文句なしのマドンナだ。ただ、自分の意志で(他の超美人タレントと比べて)可愛くないと呼ばれうる道を選んだだけだ。

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 先日リオ五輪が開幕し、サッカー日本代表は初戦のナイジェリア戦で惜しくも敗れた。明らかに準備不足だった相手に5点もとられてしまい、日本選手たちは厳しい批判にさらされている。「下手くそっ!恥さらし!」と。

 彼らは日本では飛びきり有能な選手たちだが、みずから大海で泳ぐことを選び、今リオにいる。代表を辞退することだってできたが、下手くそと叩かれることも覚悟のうえで一つ上の舞台へと上がったのだ。

 ——ところで。地元の元プロ、居酒屋ではたらく僕のスターは、テレビに映る日本代表の姿を見てどう思うだろうか?

 賛か否か見当もつかないけれど、少なくとも僕自身は、大海でもがく日本代表たち、そして大海を去った無名の元Jリーガーに向けて、賞賛のエールを送りたいと思う。