パパが3歳のとき知っておきたかったこと

年収は2-3000万円で全然いいんですよ、お金には執着しないタイプなので。

タイタニックを見続けると、船も、お金も、時間も、すべて沈みます

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 すごくお馬鹿さんのパパでも、世界の賢人が残した有益な知識には、簡単にアクセスできます。
 そこで今日は、少し難しいけど、人生を生きる上できっと役に立つ、重要な概念について学びましょう。

 人には、過去につぎ込んだ「回収不能なお金や時間」を取り返そうとする、心理的に偏った習性(バイアス)があります。これを「サンクコスト・バイアス」といいます。”sunk cost” で、埋没した費用です。投資関連の資格では、よく出てくる概念です。

 これを手っ取り早く理解するには、映画館の例がよいでしょう。

 ある日、TOHOシネマズに行き、映画「タイタニック」を見ていたとします。しかし、開始1時間ほどで、とてもつまらなく感じ、これを最後まで見続けてもきっとつまらないままだろう、と思いました。
「あと2時間半ぐらい上映あるけど、結局、最後に船が沈むだけだろ?つまらなすぎwww」

 この場合、最善の行動は、そう信じた瞬間にサッと映画館を出ることです。映画のチケット代1,800円は、既に支払ってしまったので、これからどういう行動を取ろうと決して戻ってきません。このまま映画を見続けた場合、失うのは1,800円と2時間半であるのに対し、今すぐに映画館を出れば、損失は1,800円だけで済みます(2時間半はセーブできます)。1,800円惜しさに映画を見続けると、タイタニック号だけでなく、貴重な2時間半まで沈んでしまうことになるのです。

 レストランでの食べ放題も、似たようなものです。食材の原価がいくらとか、元を取るとかいう発想で、特定の高原価な料理をむやみやたらに胃に詰め込む作業をするのは、アホとしかいいようがありません。入店した時点で、もう戻ってこない定額の食事代のことはきっぱり忘れて、単純にどうしたらもっとも満足できるのか、ということだけを考えて、好きなものを適量食べるべきです。

 意思決定において大切なのは、今から起こす行動が、将来の損益にどういった影響を与えるのかを考えることであって、フォーカスすべきなのは常に将来のことなのです。その際、過去の意志決定によって回収不能が確定した費用、すなわちサンクコスト(映画のチケット代や食べ放題の食事代)は、まったく考慮してはいけません。

 サンクコスト・バイアスは、その凜とした、レアキャラ風のネーミングからは想像しにくいのですが、じつは人生のいたる場面で顔を出し、合理的な意志決定の邪魔をしてきます。

 10代の高校生 は、一生懸命にバイトして貯めたお金で買った漫画やゲームが、実際はぜんぜん面白くなかったとしても、「必死でバイトしたのにもったいないから」という理由で、数十時間の若い時間(おそらくこの世でもっとも貴重なもの)を犠牲にして、最後まで漫画を読んだりゲームをプレーしたりします。

 20代の新人サラリーマン は、いざ入社してみると仕事内容が思っていたものとはまったく異なり、日々苦痛な時間が増えていっているだけなのに、「せっかく入社できたんだし、とりあえず3年は我慢して働くか」と考え、また、先輩からは「どんなに辛くても、あと1年は頑張れ」といったアドバイスを10年ぐらい受けつづけながら、ふと気が付くと容易に転職できない年齢になります。

 30代の男女 は、結婚生活がうまくいっておらず、お互いの間にこの先も絶対に埋まらない溝があると確信しているのに、それでも、10年15年の長い付き合いだから・・・とか、麻布の結婚式は700万円もしたから・・・といった理由で、なんとなく夫婦関係を続けます。

 40代の中年サラリーマン は、自分が通いつめたキャバ嬢には、費やしたお金や時間に見合うだけの価値があると信じ込み、ここで諦めるのはもったいない、どうにかして口説き落としてやろう、とさらにお金を注いでは、ますます深みにハマっていきます。

 50代の経営者 は、自社の不採算な事業を、これまで何十億円つぎ込んでもったいないからという理由で、毎年、莫大な維持費用を垂れ流しています。

 これらの行動はすべて、サンクコスト・バイアスの影響下にあります。取り返せない、沈んでしまったコストに、今の意志決定が引きずられているのです。繰り返しますが、意思決定では、回収不能なコストを無視し、純粋に将来の便益のことだけを考えるべきです。

 ところで、「過去にとらわれるな」と言うと、少し陳腐に聞こえますが、言わんとしていることは「サンクコストを無視しろ」に近いと思います。

 いまの入学式シーズン、どこの大学にも決まって現れるのが、高校生の頃は地味だったのに春休み中に派手な外見に変身してくる、いわゆる「大学デビュー」の学生たちです。
 周囲の人間は、彼らをバカにしたりネガティブなことを言いますが、パパは、この意志決定が、「これからの大学生活とその後の人生を華やかにしたい」という動機にもとづく、将来に集中した決心なので、とても良いことだと思います。今まで根暗で引きこもりの地味メガネだったから、今後もそう振る舞わなければいけない、という決まりなどどこにもありません。サンクコストは、捨てたもん勝ちです。

 人生のいたる場面では、合理的な意志決定に徹するのが基本です。しかしその一方で、必ず覚えておかなくちゃいけないこともあります。それは、周りの人間はロボットなんかではなく、彼らの「心情」というものにもしっかり配慮すべきだ、ということです。

 たとえば、じいじが3歳の君に絵本を買ってくれたけど、残念ながらそれがぜんぜん面白くなく、2ページめくったところで、君がこれ以上読んでも時間の無駄にしかならないと判断し、じいじの目の前で絵本をゴミ箱に放り投げたら、じいじはどう思うでしょうか?

 君が社会人になり、会社の退屈な会議の途中で、「僕がいても結論にはまったく影響しないみたいなんで失礼します!」といって無碍に退室したら、(仮にそれが本当のことであっても)同僚の人はどう思うでしょうか?

 君が結婚し、新婚旅行から帰ってきたときに「この1週間 彼女と過ごしてみて、絶望的な価値観の違いを感じた。この先50年も一緒にいられない」と言って、印鑑を手に空港から区役所に直行したら、パパとママはどう思うでしょうか?

 当然のことながら、それが自分だけの問題ではなく、誰かになんらかの影響を与える際には、ずっと慎重に意思決定すべきです。

 何事もケースバイケース!